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熟語・句動詞攻略のカギ! 比喩の3類型って?③~換喩(メトニミー)の応用編~【英語学習のヒント#8】

換喩 アイキャッチ

皆さん、こんばんは。ねこらいたーです(= ̄ω ̄=) 

 

前回はメトニミーの基本編ということで、「隣接性」に基づいた比喩の考え方をご紹介しました。しかし実は、メトニミーにはもう一つ重要な考え方があるんです。

 

これを知っていると、例えば”go off”がなぜ「(アラームが)鳴る」という意味になるのかなどがよく分かるようになります^^

 

では始めていきましょう。
 

 

 

換喩(メトニミー、metonymy)って?

一般的には、換喩(メトニミー、metonymy)とは2つの事柄の「隣接性」に基づいた比喩表現のこととされています。

 

この「隣接性」という特徴をもっとザックリ言うと「関連性」 のことだと考えてください。つまり、元々関連のあるもの同士の間で生まれる比喩。これが換喩(メトニミー)です。

 

詳しくは、前回の記事を参照ください↓

eigogakushu.hatenablog.jp

 

 

もう一つの「メトニミー」って? 

go off =「(アラームが)鳴る」の謎

こんな質問から始めてみましょう。1)を見てください。

 

1)My alarm clock went off at 7.

 「7時に目覚まし時計が鳴った」

 

皆さん、どうしてこの"go off"が「(目覚まし時計などのアラームが)鳴る」という意味になるのか不思議に思ったことはないでしょうか?

 

これもまた、簡単な単語からできているのに「なぜその意味になるか」については(少なくとも学校の授業では)ほとんど説明されることのなかったものの一つと言えますが、実はこれも「メトニミー」の考え方で意外とカンタンに解決できるんです。

 

ただし、それには前回説明した「隣接性」とは少し異なる考え方が必要になります。それが「全体と部分」という関係性に基づくメトニミーです。

 

ここで「え?隣接性と異なるなら、それはメトニミーではないのでは?」というツッコミが来そうですが、ねこらいたーが知っている限りでは、一応学問的にもメトニミーの一種とされています(※1)。

 

また、最初でも少し触れたように、「隣接性」というのはメトニミーの特徴を表す一般的な言い方で、ねこらいたー的には「関連性」と呼んだ方がしっくりきます。実際、「隣接性」のメトニミーもこの「全体と部分」のメトニミーもどちらも元々強い関連性のあるもの同士で起こる比喩だという点では同じです。

 

それでは、いつものように日本語の例から見てみましょう。

 

※1 「全体と部分」の比喩についての当ブログでの扱い

似た比喩表現に「提喩(シネクドキ、synecdoche)」というものがあります(詳しくは後の記事で取り上げます)。一般にシネクドキはメトニミーの一種とされていますが、両者の区別は学問的にも曖昧なようで、今回扱っている「全体と部分」の比喩はシネクドキだという考え方もあります。ただ、この考え方に従うとメトニミーのうちの多くが「全体と部分」の関係性で説明できてしまい、そうなるとメトニミーがシネクドキの一種ということになり関係が逆転してしまいます。しかし、比喩として重要なのはどちらかというとメトニミーの方であるので、こういった関係の逆転はあまり適切ではないと考えています。こういった経緯から当ブログでは、シネクドキは「上位カテゴリと下位カテゴリ」の関係性に基づくもののみに限定し、「全体と部分」の比喩はメトニミーの中に含めてあります。

 

日本語での類例

次の2文を見てください。

 

2)1つ屋根の下で暮らしている

3)もう寝るのでテレビを消した

 

2)では「屋根の下」という家を構成する一部分を言うことで間接的に「家全体」を指しています。つまり、一部分がその全体を指すパターン 。一方3)はその逆で、「テレビ」という全体を言うことでそれを構成する一部分である「電源」を間接的に指しています。こちらは全体がその一部分を指すパターンですね。

 

これは、前回の最後の方でお話した「時間的隣接」においてもほぼ同様です。

 

4)度重なる怪我により、その力士はついに土俵を去ることになった 

 

もう皆さんお分かりのように、ここでいう「土俵を去る」というのは、取組が終わったので今日は帰るということではありません。そうではなくて、実際には、「土俵を去る」と言うことで「引退すること」を間接的に指しているわけですね。

 

前回取り上げたワインを飲む例や涙する例と異なるのは、「引退する」というのが特定の動作ではなく、複数の動作を含む複合的なものだという点でしょう。

 

これは、引退という名の「動作」は存在しないことからも明らかです(※2)。実際、力士の引退時には、引退届の提出・引退の表明・引退相撲・断髪式などが行われるので、「土俵を去る」というのはそれらの一連の行動のごく一部に過ぎません

 

つまり、4)は一部分(=「土俵を去る」)がその全体(=「引退する」)を指すパターンと理解することができます。 

 

※2 「動作」「行為」「行動」についての考え方

「泣く」あるいは「ワインを飲む」というのは、マネをしてみてと言われればほぼ一つの動きで表現できますよね。それはその2つが”動作”だからです。一方で「引退する」というのは、マネをしてみてと言われても単純な動きでは表せないはずです。つまり、引退とは”動作”ではありません。このように単純な体の動きでは表せないものは”行為”と呼ばれるもので、複数の動作をまとめて抽象的に捉え直したものといえるでしょう。では残りの”行動”とは何かというと、上記の「行為」と「動作」をひとまとめにした言い方ですね。

時間的隣接 イメージ

句動詞と"go off"の基本義

 さて、この辺りで本題である”go off”の謎を解きにいきたいところですが、その前に確認しておきたいことがあります。

 

まず、学校英文法でいうところの「動詞+副詞」「動詞+前置詞」「動詞+副詞+前置詞」などの形をしている動詞のカタマリを一般に「句動詞」と呼び、"go off"もこの句動詞に分類されます。

 

句動詞というと、意味が多くしかも字面通りの意味からかけ離れている場合が殆どだということで有名です。しかし実は、一見すると特殊に見える意味であっても必ず文字通りの意味から派生しているんです。

 

つまり、あくまで文字通りの意味が基本義ということ。考えてみればこれは当然な話なのですが、句動詞の学習においてはその多種多様な意味・用法に惑わされて、その点を意外と忘れがちです。

 

では、この”go off”の基本義は何かというと、まず動詞goの最も基本となる意味は「行く」ですよね。次にoffですが、こちらは「離れて」が基本の意味です。したがって、”go off”は「離れていく」というのが文字通りの意味すなわち基本義になります。そしてこれをそのまま表したのが次のような文です。

 

5)She went off without a word.

 「彼女は一言も言わずに立ち去った」

 

直訳的には「離れていった」となりますが、これをより自然な日本語にした結果「立ち去った」となるわけです。

 

さて、これでやっと謎を解く準備が整いました。

 

”go off"が「(アラームが)鳴る」の意味になる仕組み

では、本題です。先の例文1)はメトニミーの考え方を使うと、どのように考えられるでしょうか?日本語の類例がヒントですよ。

 

1)My alarm clock went off at 7.

 「7時に目覚まし時計が鳴った」

 

実はコレ、日本語の例文3)と同じ構造、すなわち全体一部分を表すパターン。具体的には、「全体」に当たるのが"my alarm clock"「一部分」に相当するのが"alarm sound"すなわち「アラーム音」です。

 

つまり、”go off”に対する本当の主語は、時計本体ではなくアラーム音ということになります。

 

このような構造は、”go off”そのものに「(アラームが)鳴る」という意味があると思い込んでいると気づきにくいですが、先ほど説明したように”go off”の基本義が「離れていく」ことだという点を踏まえれば特に難しくはないでしょう。

 

つまり結局のところ、1)は

 

「7時にアラーム音が離れていった」

 

というのが本来の意味なのです。ではどこから離れていったかといえば、もちろん「時計本体から」ですね。なのでこの点を補えば、

 

「7時にアラーム音が(時計本体から)離れていった」

 

となります。

 

ただ、これだと日本語としては流石にギコチナイ・・・。「音が時計本体から離れていく」という状況に近い日本語はおそらく「発せられる」でしょうから、”go off”の基本義のニュアンスを残した和訳は、

 

「7時にアラーム音が(時計本体から)発せられた

 

といった感じになります。

 

イメージにすると下の図1のようになるでしょうか。アラーム音が時計から発せられた後、空気中を伝わって段々と時計から離れていく。そんなイメージです。

go off イメージ

図1 アラーム音が”go off”するイメージ

こういった観察をしてみると、最も自然な”日本語訳”にしたのが「7時に目覚まし時計が鳴った」というだけであって「(アラームが)鳴る」というのは元々の”意味”ではないということが見えてくると思います。

 

ちなみに、6)のような言い方もあります。

 

6)My alarm went off at 7.

 「7時に目覚まし(時計)が鳴った」

  

たまに「6)のような例は1)の”clock”を省略した言い方だ」という説明も見かけますが、”go off”の本当の主語はアラーム音だという点に気付けば、むしろこの6)の主語の方が”go off”の基本義である「離れていく」と合致していて、より正確な言い方とさえいえるのではないでしょうか。

 

 都合上省きましたが、”The bomb went off.”(「爆弾が爆発した」)や"The gun went off."(「銃が発射された」)もほぼ同じ要領で考えることができます。特に後者では、「離れていく」のは”銃本体”ではなく”銃弾”であることは明白なので、全体がその一部を表すメトニミーであることが分かりやすいと思います。よければ考えてみてください^^

 

さて、以上が「全体とその一部」という関係性に基づくメトニミーについての説明となります。 

 

 

隠喩・直喩とメトニミーとの違いって?

話は変わって、以前扱った隠喩や直喩とどう違うのかに関して整理しておきましょう。

 

一般に「比喩」といえば、隠喩(以下、メタファー)と直喩(以下、シミリ)が有名ですが、これら2つとメトニミーとの違いはかなりはっきりしています。

 

まず前者2つについて。メタファーとシミリはどちらとも、「比喩として使われるもの」と「その比喩により指示されるもの」の間には本来的な関係がありません。つまり、元々無関係なもの同士だということです。

 

7)彼は大きな雨粒を目に溜めながら、ただただじっと見ていた

8)夕陽に照らされた彼女の涙は、まるで宝石のようだった 

 

例えば7)の太字部分はメタファーです。ここでは「雨粒」が「涙」を表していますが、雨粒と涙は本来無関係のものですよね。というのも、両者はただ「水分のカタマリ」という点で共通しているだけであって、涙は雨粒でできているわけでもありませんし、その逆も然りです。

 

8)も事情は同じです。こちらは「まるで」という文言から分かるようにシミリですが、涙と宝石も本来は無関係です。

 

一方、今回のテーマであるメトニミーは上の2つとは真逆で、本来的に関係のあるもの同士の間に成立する比喩です。例えば次のような文。

 

 9)彼女は真っ赤に目を腫らしながら、ぽつりぽつりと話し始めた

 

 「真っ赤に目を腫らす」という事象は「泣く」という行為の結果であり、その意味で両者は本来的に関係のあるもの同士です。ちなみに、これは前回説明した「時間的隣接」の例ですね。

 

このようにメタファー・シミリとメトニミーとの違いは「本来的に関係のあるもの同士かどうか」という観点で区別できますが、これは次のように言い換えてもいいでしょう。

 

 1.メトニミーとは事実描写を切り取ったもの。すなわち、実際に起こったこと、または実際その場に存在するもの。

 

2.一方、メタファーとシミリは事実描写ではないもの。すなわち、実際には起こっていないこと、または実際その場には存在しないもの。

 

 もう一度上記の3例で確認してみましょう。

 

7)では、目の中に雨粒が本当にあるわけではありませんよね。8)でも同様に、本当に宝石があるわけではありません。

 

一方、9)では、泣いたためにその目は本当に真っ赤であり腫れているわけですから、「真っ赤に目を腫らす」という事象はその場に事実として存在しているといえます。

 

どちらの観点も結局はほぼ同じなので、分かりやすい方で考えてみてください^^

 

 

編集後記

さて、今回はいかがだったでしょうか。

 

これで、メトニミーという比喩そのものについての説明はほぼ終わりです。何となくでも「メトニミー」の輪郭が見えてきたようであれば嬉しい限りです。

 

次回は「実践編」と題して、メトニミーを使って実際にいくつかの英語表現を整理してみる予定・・・だったのですが、今回扱った"go off"について補足した方がいいかなという部分があるので、「番外編」としてそちらをやろうか迷っている最中です・・・。

 

とりあえず、今日はこれにて失礼します。

 

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