気ままに英語あそび

「なぜこういう英語表現になるの?」納得するまで気ままに考えたい! 効率重視の時代に逆行する英語学習ブログ

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I have finished my homework yesterday.と言えない本当の理由 / 英語の時制は2つだけ?!【英文法#5】

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こんにちは、ねこらいたーです(= ̄ω ̄=)

 

 今回は、

 

①日本人の感覚だと分かりづらい現在完了のポイント

②英語の時制そのものの考え方

 

という小話2本立てでお送りします。

 

では、始めましょう。

 

 

I have finished my homework yesterday.と言えない本当の理由

皆さんは、「なんでI have finished my homework yesterday.って言えないの?」と聞かれたら何と答えますか?

 

「え? 現在完了形の文ではyesterday, last weekなど過去を表す言葉は使えないからでしょ?」

 

これはよくある答えですよね。参考書にもほぼ同じことが書いてありますし。

 

でも、その説明をホントの意味で理解されてますか?

 

少なくとも、英語初心者にはこの説明ですぐわかるとは到底思えません。実際、私が中学生の時、この点を疑問に思って先生に質問したら、さきのような説明をされて「???」となりました。

 

今考えてみると、こうなるのも当然なんです。

 

というのも、「現在完了の文ではyesterday, last weekなど過去を表す言葉は使えない」という説明は、「なんで人間は鳥のように飛べないの?」と子どもに聞かれて「人間はね、鳥じゃないからだよ」と答えているのと大して変わらないからです。どちらも事実ではありますが、質問の答えにはなっていませんよね。

 

では、どう答えればよいのでしょう?

 

答えは「現在完了形」という用語にそのまま書いてあります。よーく見てください。

 

「現在」完了形ですよ?

 

そうなんです、現在完了形というのは現在時制の一種。つまり、現在時制にほかなりません

 

だからこそ、過去を表すyesterday, last weekなどの語句と使えないんです。

 

例えるなら、現在完了形の文にyesterdayなどの言葉を用いるのは、「私は学生です」という現在時制の文に「昨日」を無理やり入れて「昨日、私は学生です」と言っているのと同じです。

 

たったそれだけのことです。まさに灯台下暗し・・・。英語だと、 The darkest place is always under the candle's flame.でしょうか。

 

「文法用語は全く役に立たない」という意見もありますが、上述のように文法用語も少なくともたまには役に立つんです(笑)

 

 

英語の時制は2つだけ?!

先の現在完了の話題と関連しますが、現在進行形・現在完了形・現在完了進行形をあたかも現在時制とは別の時制のように考えている方をたまに見かけませんか?

 

残念ながら、この考え方は誤りです「現在〇〇形」というのは全て現在時制の下位分類に過ぎません。したがって、これらはすべて現在時制です

 

同様に、過去進行形・過去完了形・過去完了進行形も時制としては過去時制でしかありません。

 

小難しい言い方になりますが、言語関係の学問においては「時制(tense)」「相(aspect)」という考え方がありまして、さきの完了形と進行形はこの「相(aspect)」に相当すると考えられています。

 

では、この「相」というのはどういうことかというと、動作の様態を示すものです。つまり、ある動作が完了しているのか或いは進行しているのかということ。このような動作の様態は現在とか過去とかの時制とは関係ないですよね。ですので、〇〇形を別の時制として扱うのは無理があるということになります。

 

実は、そもそもの話として、英語の時制には過去時制と現在時制の2つしかないということをご存じでしょうか?

 

「いやいや、未来時制があるから3つでしょ!」と思われるかもしれませんが、英語における未来は現在時制の派生でしかありません。よく引き合いに出されるwillでいえば、wil自体の意味に「~するだろう」という推量を表すものがあって、この意味を利用して未来の内容を表しているのです。要は、英語には未来時制があるのではなく、「実質的に未来を表す表現」があるだけということです。

 

 こう考える理由は、2つあります。

 

①:未来の表現だけ動詞が変化しないのはオカシイ

②:未来のことを表せるのはwill,shouldだけではない

 

それぞれ分けて説明しましょう。

 

①:未来の表現だけ動詞が変化しないのはオカシイ

 突然ですが、以下の文の時制は何でしょうか?

 

1)I study English.

2)I studied English.

 

1)が現在時制で、2)が過去時制ですよね。

 

では、その判断はどこでしましたか?

 

両者で異なるのは真ん中にあるstudyとstudiedしかありませんから、当然ですが、ここで時制を判断するしかありません。

 

つまり、これだけを見れば、時制というのは動詞そのものの形を変えて表現されるものということになります。

 

では、次に先の1)を単純な未来表現にしてみてください。どうなるでしょうか。

 

多くの方は、

 

a) I will study English.

b) I should study English.

c) I will be studying English.

d) I am going to study English.

e) I am studying English.

f) I am to study English.

g) I am about to study English.

h) I am on[at] the point of studying English.

 

あたりの表現を考えるのではないでしょうか。

 

先ほどの2)の文においては-edが過去を表していたのですから、未来表現においても同様に動詞そのものの変化が未来を表すと考えるのが自然ですよね。

 

では、その条件に該当するものは上のa)~h)のうち、いくつあるでしょうか。

 

c)とe)とh)は確かに-ingが動詞にくっ付いて動詞そのものの形が変化しているといえますね。しかし、主語Iと動詞studyの間に余分なものが挿入されているという点は他のものと同じです。

 

ここまでの流れをまとめると、過去時制のときは動詞そのものの変化がそれを表す一方で、(”未来時制”というものが仮にあるとして)”未来時制”のときは主語と動詞の間に別の要素を挿入しないといけないということになります。

 

これってオカシくないでしょうか。現在時制でも三人称単数であれば"-s"を動詞そのものにくっ付けて変化させていますし、これでは、"未来時制"だけ動詞そのものを変化させるという規則性から逸脱していることになります。

 

これが「英語に未来時制はない」と考える理由その1です。

 

しかし、「規則性から逸脱しているからといって、未来時制がないなんて言えないでしょ」という反論がありそうです。

 

そこで、次の理由。

 

②:未来のことを表せるのはwill,shouldだけではない

”未来時制”があると説明しているようなサイトを覗くと、さきほどの

 

a) I will study English.

b) I should study English.

 

のような文を”未来時制”の文として挙げていることが殆どです。

 

しかし、未来の内容を表せるのはこれだけではありません。例えば、先ほど挙げた

 

d) I am going to study English.

e) I am studying English.

f) I am to study English.

g) I am about to study English.

h) I am on[at] the point of studying English.

 

はどれも未来の内容を表していますし、ほかにも

 

i) He may study English.

j) He might study English.

k) He ought to study English.

l) He must study English.

 

と書いても未来の内容を表すことが可能です。

 

しかし、d)~l)にはwillやshouldなんてどこにもありませんよね。

 

この事実から分かることは、willやshouldをつけた文が”未来時制”だというのはデタラメということです。

 

そもそも、仮に助動詞が”未来時制”を表すのであれば、なぜ次のような2通りの解釈が可能なのでしょうか。

 

例)He will be studying.

「彼は(今ごろ)勉強しているだろう」

「彼は勉強することになるだろう」

 

下の解釈であれば、確かに未来の内容を表していますが、その一方で、上の解釈であれば、明らかに現在の内容です。つまり文脈によって現在の内容も未来の内容も表せる「あいまいな文」というわけですが、このようにあいまいな性質のものを”未来時制”などと呼ぶのは無理がありませんか。

 

歴史的に考えても、時制という機能は、意味内容をじっくり吟味しなくても、見たり聞いたりするだけで話し手が現在のことを言っているのか、それとも過去のことを言っているのかをすぐに判断できるようにと発達したものと考えていいでしょう。

 

というのは、相手の話を聞くときに「これは意味的に考えて現在のことを言っているな」「これは過去のことを言っている・・・いや、待て。やはり現在のことか」などと考えていたら、内容的に大した話でなくとも日が暮れてしまいますよね。これでは、まともな意思疎通など取れなくなってしまいます。

 

ですから、意味まで考えないと未来かどうかわからない助動詞が”未来時制”であるはずもありません。

 

このように言うと、「英語は歴史的に-edのような接辞をつけて屈折(=活用のようなもの)することで意味を表してきたが、現代英語に至る過程でそのような接辞が消えてきたはず。だから、昔の英語には、未来をあらわす接辞があったのではないか?」という疑問も湧いてきそうですが、私が知る限りでは、古英語などを見ても時制に関する屈折には現在時制・過去時制の2種類しかありませんでした。なので、その考えも違うと私は考えます。

 

さて、だらだらと話をしてしまいましたが、”未来時制”があるという主張の胡散臭さは分かっていただけたでしょうか。

 

未来時制なんて無いと考えることのメリット

最後になりますが、未来表現というのは現在時制の一種と考えることで、解決できる現象があります。そのうちの一つが「時や条件を表す副詞節の中では未来を表す内容であってもwillは使わない」という謎ルールです。皆さんも呪文のように暗記されたのではないでしょうか。

 

いま「謎」と言ったのは、未来表現というのはwillなどが持つ「~するだろう」という推量の意味用法を利用しているだけという事実に気づけば、わざわざルールにしなくても普通に理解できる事柄だからです。

 

例えば「彼がここに来たら、私に電話するように伝えて」というのを

 

When he will come here, tell him to call me.

 

と書いてしまったとします。

 

さきほどの謎ルールに従えば、この文は非文(=文として成立していないということ)ということになります。

 

しかし、未来表現というのはwillなどが持つ「推量」の意味用法を利用しているだけということを知っていれば、もっと簡単です

 

というのは、この事実に従って上記の英文はそのまま訳すと

 

「彼がここ来るだろうとき、私に電話するよう伝えて」

 

という日本語訳になりますが、明らかにオカシイですよね。

 

「来るだろうとき」という日本語訳自体も違和感がありますが、そもそもの話として「彼がここに来たら」という部分を英訳しようと思ったとき、この「彼がここに来たら」という日本語のどこに”推量”の意味が含まれているのでしょうか

 

「彼がここに来たら」というのは、条件を示しているだけであって、この文の話者は「彼がここに来るだろう」と推量しているわけではありません。だからこそ、willなどというものは、この文には必要ないのです。

 

これが「時や条件を表す副詞節の中では未来を表す内容であってもwillは使わない」という謎ルールの正体です。

 

実際、「推量」の意味ではなく「意志」の意味であれば、時や条件を表す副詞節の中であれwillを使います

 

例)If you will learn to swim, you need practice.

直訳:「泳げるようになるつもりであれば、あなたには練習が必要です」

意訳:「泳げるようになりたいなら、練習が必要だよ」

 

日本語訳も先ほどの「 彼がここに来るだろうとき」のようなオカシさはないですよね。

 

このように、未来表現は現在時制の一種と考えると、解決する現象があるんです。

 

皆さんもこういった考え方を取り入れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

さて、小話のはずがいつもの長文になってしまいました・・・。

 

このあたりの事情は学校の授業ではまず教えてくれないので、謎ルールを暗記してしまいがちですが、あれは当然のことを言っているだけなんです。

 

今後の英語教育では、英会話などの実用英語に力を入れるのもいいですが、今回ご紹介したような英語の本質的な仕組みなども教えてくれるようになるといいですね。

 

では、また!

 

 

 

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